社会人20年目、苦手で読めなかった日経新聞の購読を十数年ぶりに再開したら、自然と読めるようになっていた

日経新聞の購読を再開して1週間が経ちました。

正直、何年前まで読んでいたか正確に覚えていませんが、10年は読んでいないはず。

 

新聞すら読んでいないことに世間からお叱りを受けそうですが、何を隠そう、まったく読んでいませんでした。

十数年ぶりに読んでいますが、思いのほか、読むことが苦痛ではなく、楽しく目を通せています。

 

新聞を読む余裕がなく、新聞が嫌いになった

社会人になって「日経ぐらいは読んで当然」という空気の中、とりあえず購読を始めました。

が、それまで社会経済系の新聞を読む習慣がなかったので、日経を読むことは習慣になりませんでした。

朝、満員電車に揺られながら新聞を読んでいる人を見て、すごいなー、と感嘆しているレベルでした。

 

新聞が読めなかった理由は、主に2つ。

1つ目は、時間がなかったこと。

正しくは、余裕がなかったということ。

目の前の仕事が多く、自分の知識・スキルも低いので、仕事に時間を投下しないと生きていけませんでした。

仕事のためにたくさんの本を読まざるを得ず、新聞を読むを時間はありません。

肩の力を抜いて、軽い気持ちで新聞に向き合えばよかったものの、不器用な自分にはそれができませんでした。

 

2つ目は、興味がなかったということ。

当時は、仕事にしか目が向いていませんでした。

仕事に興味があったというよりは、やらなくちゃいけない、という外圧によって視野が狭くなっていただけです。

大して仕事ができるわけでもないですが、仕事のために人生を送っていたような時期だったのかもしれません。

自然と興味の対象範囲は狭まるので、ゼネラリスト的、すなわち全方位的な新聞の内容に見向きもしませんでした。

 

読みたいという気持ちがないので、毎日送られてくる新聞はゴミと化し、読まれない新聞が溜まっていく光景を嫌悪する日々です。

その経験を経て、新聞が苦手になったと思います。

 

読みたいと自然に思った

今年(2026年)ぐらいに入って、自然と新聞でも読もうかなーと思うようになりました。

きっかけのようなものは特になく。

何となく、読もうかなー、という気持ちです。

ただ、昔の「読まれずにゴミと化す光景」がややトラウマになっており、なかなか踏み出せず。

ただ、3ヶ月ぐらい経ってもその気持ちが萎えなかったのと、とあるブログで「新聞読んでいる姿を子どもに見せる」という親の姿勢を知り、良さそうと共感したことで購読に踏み切りました。

 

購読初日、ポストに新聞が入っている体験が新鮮でした。

田舎に移住して感じるのは、ポストに郵送物やチラシが入っていることは珍しい(ほぼ無い)ということ。

都内のマンションに暮らしていたとき、毎日ポストに大量のチラシが入っており、それを自宅のゴミ箱に捨てる日課がありました。

これが本当に苦痛というか、お互いに無駄なことをやってるとの怒りのようなものを感じていました。

紙も無駄だし、ポスティングする人の時間も無駄だし、チラシを捨てる自分の時間も無駄だし、なんでこんな非効率なことを続けているんだろう、と思っていました。

 

一方、田舎ではチラシが入りません。

ポスティングする人がいません。

そもそもマーケテキングするモノも人もいない。

お知らせも少ない。

人が少ないということは、それだけ流通する情報も少ないということを身をもって体験しました。

 

心地よい寂しさを感じるくらい、都会から無視されている感覚です。

そんな状況の中、朝、新聞とチラシがポストに入っていると、社会との何とも言えない繋がりを感じてしまった自分がいました。

 

さて、購読した日経新聞ですが、もちろん朝の時間に読む余裕は相変わらずなく、居間のテーブルの上にポツンと放置されます。

昼が過ぎ、夕方を経て、夜になった頃、やっと読む時間となります。

1日が終わりに近づくころ、(家の中は騒がしいですが)自分の気持ちが落ち着いたところでやっと新聞を読む余白が生まれます。

30分ぐらいでしょうか。

昔は本当に読めなかった・読みたいと思わなかった日経新聞を読んでいる自分をメタ認知して、自分も変わったなー(年齢を重ねたなー)と感慨にふけています。

 

受け身の媒体

久しぶりに新聞を読んで、新聞は一定の質が担保された「受け身の媒体」だと感じました。

ポジティブな意味で捉えています。

新聞を広げれば多様な情報が掲載されており、右から左へと目線を移動させながら、興味ある情報をサーチしていきます。

能動的に動いているように感じますが、一方で記者が記事を提案してくることを前提に新聞を広げると、その提案に対して身を任せて情報を取捨選択していることに気がつきました。

仕事で本を読む場合、知りたい情報の目的があり、制限された時間の中で必要な情報を読み取り、整理していきます。

新聞は、特定の情報という目的はなく(自分の場合)、読むということ自体が目的になっています。

読む・目を通すという行為が楽しみであり、たまたま面白い情報に巡り合えれば御の字なのかもしれません。

 

以前は、読むことに躊躇いすらあった「経済教室」。

マーケティングに関する記事で「リキッド消費」と「冒険消費」を知りました。

何となく自分の経験でもわかる消費行動が理論として簡潔に整理されており、とても学びになりました。

自らの仕事にもダイレクトかつすぐに活かせそうです。

マーケティングの学習をしよう、という能動的な心構えで書籍に向き合うのではなく、受動的(受け身)に新聞を通じてマーケティングについて思考を巡らせることができる。

 

社会人経験20年を前にして、やっと新聞の意味合いを理解できるようになりました。

恥ずかしい限りです。

 

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