5月、だいぶ暖かくなってきました。
5‐6月が、1年の中で一番気持ちのいい季節です。
朝、子どもを送った帰りの散歩が気持ちいい。

ここ2ヶ月ほど、父親の役割をサボっています。
身勝手ですね。
家族には迷惑をかけています。
すみません、そして感謝しています。
詰め込み過ぎた2024年
最近、よく飲みの席で話していますが、2024年は本当に大変でした。
移住して2年目。
まだ地に足がついていません。
2月には、新しいメンバーが家族にジョイン。

慣れない&苦手な育児もやりつつ、3月の卒園式、4月の入学式。
卒園式の前、子どもがアデノウィルスにやられて入院。
5日間、付き添いました。
忙しく過ごせば、今度は自分が体調不良となり、喉は腫れ、発熱するの繰り返し。
7月に扁桃腺摘出の手術を行いました。
そして、8月に父が亡くなります。
今年も暑かった。
この時期、家づくりのタスクが重なり、ストレスが蓄積。
さらに、相続。
自分で勉強しながら、プロである税理士さんにも協力いただきます。
夏の暑さに削られながら、気づいたら冬。
今度は寒さに削られ、気づいたときには体も心も深く傷がついていました。
ダメ押しのジョーカークライアント(関わってはいけないクライアント)。
無理に我慢して1年をやり過ごしたら、2025年に入ってほころびが出始め、あえなく2月下旬に決壊したという顛末です。
雪の日が限界だった

眩暈や動悸といった症状を初めて経験し、これは本当にヤバいぞ、と肝を冷やしました。
身体に出る症状だけでなく、心のパーツが酷く、今振り返ると「抑うつ」になっていました。
雪が吹雪に変わった3月初旬、これは限界だ!と昼ごはんを食べながら妻に相談したことを鮮明に覚えています。
その場で、鍼灸師さんに相談してもらい、自分は眩暈の症状を訴えて耳鼻咽喉科の予約を取りました。
吹雪の中、車を1時間走らせて病院へ。
聴力検査や平衡感覚検査など、様々な検査をやりました。
結局は、深刻な慢性上咽頭炎だったわけであり、去年1年の心労が溢れたわけですが、当時は原因もわからず、ただただ不安になるだけでした。
これが3月上旬の話。
それから2か月弱。
やっと、心も身体も回復してきました。
通院
上咽頭炎の治療(Bスポット療法)は、自分にとって非常に効果を感じる治療でした。
めちゃくちゃ痛いけど、その分、良くなっていることを実感できます。
だから、治療や待ちの時間も含めて、往復3‐4時間かかる通院を週2のペースでやってきました。
自分にとって、この2ヶ月間は「最優先」で取り組んできました。
現時点で計20回、行きました(やりました)。
治療のたびに出血しており、先生からは「だいぶ良くなってきました。出血も減っている。でも、まだまだです」と言われました。
当初、最低でも30回の処置は必要と言われましたが、もう少しかかるかもしれません。
でも、確実に快方に向かっているのがわかるので、継続一択です。
出張

4月から週1の頻度で都内へ出張しています。
10年前のクライアントから電話がかかってきて、急きょ対応することに。
ありがたい話です。
ただ、当時は悩みました。
オンラインも可と言ってくださいましたが、仕事の性質上、オフライン(対面)でやらないと、うまくいかないだろうな、と思ったからです。
この体調で、しかも通院も最優先だし、週1で出張なんてできるのか、と悩みました。
でも、やろうと決めました。
正確に言えば、やりたい、と思いました。
直感です。
クライアントさんには本当にお世話になったし、自分の中でも戦友に近い存在。
使命感を持てる仕事なので、断る話ではないと。
この決断は、今振り返ると正解でした。
移動時間は、往復で6ー7時間。
この時間は、自分にとって貴重な時間になっています。
読書したり、考えたり、何も考えずにぼーっとしたり。
そして、出張のついでに買い物したり、食事したり、書店に行ったり、散歩したり。
もちろん主は仕事ですが、一人になる時間が自分の傷を癒してくれたのは間違いありません。
通勤や対面での仕事は、コロナ前では「当たり前」でしたが、今の自分にとっては「特別」です。
その重要さも意味も深く感じることができます。
楽に、効率的に、ミニマムに生きようとした結果、しっぺ返しを見事にくらいました。
自分の頭で考えている”風”でやってしまったことは、大いに反省すべきです。
自分の頭で考えているようで、全然考えていなかった、というか、世間の価値観に流されていたように感じます。
ダメですね、本当にこれは。
やや話は脱線しましたが、要するに出張とその仕事が自分を救ってくれたという話。
新しい仕事、そして使命感を抱ける仕事に関与できることが、自分のガソリンになることに気づいたし、ブレーキばっかりでなく、アクセルを踏み込んでいきたいという気持ちにさせてくれたことに感謝というわけです。
会食

出張のとき、会食の予定を(無理のない範囲で)入れるようにしました。
こういう時間が必要です、当たり前ですが。
去年は、それどころではなかったし、予定を組んでもことごとく前日に体調不良になってしまい、もうそれはメンタルを削られました。
出張する前日、緊張して眠れなくなるくらいでしたから。
あと去年は、自分の周りで起こっている様々な出来事をうまく整理できていなかったり、そもそも受け入れることもできなかったりして、話したいことを話せない状態が続いていました。
今振り返れば、そんなことは当然なのですが、「話したけど話せない」「なぜ話せないのか意味不明」って感じになってしまい、無駄に自分を責めている自分がいて、自己否定のお祭り状態でした。
ちなみに、自己否定を知るキッカケになったのは、『自己否定をやめるための100日間ドリル』。
友だちの相談に対して絶対に否定しないのに、自分の相談に対しては容易く否定してしまう構造を知り、救われました。
単に自分の弱みや悩みを見せることができないという未熟さもあれば、家族の死といった出来事を受け入れられず、それを正当化して忘れようとしていた未熟さもありました。
先日、『メンタルマネジメント大全』という本に、大切なものを失ったときの悲嘆(グリーフ)には、段階があると書かれていました。
- 否認
- 怒り
- 取引(自分が~していたら、こうなっていなかったのでは)
- 抑うつ
- 受容
バカバカしいほど、自分に当てはまりました。
これを知っていればもう少しはマシだったのかな、と思う反面、経験したからこそ身にしみるんだろうなと妙に納得できる部分もあります。
この『メンタルマネジメント大全』、ある人からお薦めされて購入した本でしたが、そのとき自分は「自分には必要ない本だな」と偉そうに思ったことが忘れられません。
自分はメンタルでやられることはない(だろう)なんて、無知ゆえの自信がありました。
蓋を開けてみれば、この本に助けられている自分がいます。
恥ずかしいぐらい、無知・無力だなと感じます。
立て続けに本の紹介になってしまいますが、『トランジション』にも救われました。
この本、何年か前に読んだことがあるんですが、そのとき、まったく刺さりませんでした。
どういうことなんだろうって。
しかし、今読むと、、、「そうだったのか」「そういうことか」「そうだよね」と頷きます。
自分は「終わり」が下手くそなんです。
コンサルタントという職業柄、うまく正当化してしまう技術もマインドも養っています。
これが生きる上で、悪さをしているんだと気づきました。
父親の役割をサボる

通院、出張、会食。
実行するには、時間が必要です。
だから、父親の役割をサボらせていただき、その時間を当ててきました。
この2ヶ月、時間の使い方がガラッと変わりました。
移動時間(一人で歩く、車・電車に乗る時間)、誰かと会う時間(お医者さん、クライアント、友人)が増えました。
一方で、一人で家にいる時間と家族といる時間が減りました。
身勝手な言い分ですが、バランスが取れました。
この形に変える際、妻には家庭・家事・育児には手を抜きたい、とお願いしました。
協力してもらい、今にたどり着けました。
妻に頼ってばかりですが、自分の中では「頼る」とは認識していません。
なんて引き際の悪いこと。
「頼る」と認識してしまうと、そんなことも自分でできないのか、と自己否定が始まってしまうからです。
なんかうまく自己受容できるワードを探していた際、「頼る」ではなく「サボる」を見つけました。
そうだ、自分勝手にサボってやろう。
もう勝手にやらせてくれ、そっちは任せた、あとのことは知らん、といったスタンスで日々、向き合っています。
本当に身勝手ですね。
親としての役割、常識、世の中のトレンド、こういった空気に自分も優等生ぶって浸っていたと感じます。
もう、やめました。いい親であろうとすることは。
やろうとしてできることもでないし、そもそも自分にはできないとできない。
自分の価値観にも合わない。
もっと仕事がしたいし、もっと自分のやりたいことがやりたい。
これでいいかな、と思うようになりました。
父親の役割は、サボりながら粛々とこなしていくぐらいがちょうどいい。
そんなことを感じさせてくれるくらい、今日はいい天気です。