2024年は心労が重なる1年だった、と書くことで気づく

年末年始に、1年間を振り返りました。 

書くことで気づくことがあります。

ジャーナリングと呼ばれる行為ですが、2024年は気苦労が多く、神経をすり減らす1年でした。

健全な気持ちで、ぼやいておきます。

 

2月に子どもが生まれました。

大雪の日でした。

 

喜びに満ちた出来事である一方、しわ寄せ・副作用も出ます。

気合いで乗り切ったと思っているだけで、その影響は十分に出ていました。

 

ごまかしながらやり繰りしていると、1ー6月だけで体調不良が7回。

3月に子どもが入院し、自分も付き添い入院。

卒園式と入学式も実行。

 

仕事においても、なかなかうまく事が進まない状況があり、後で振り返りと、相当このとき削られていたんだな(無理していたんだな)と気づきます。

 

体調不良によって身体だけでなく、メンタルまで削られていると気づいたので、さすがに対処しないといけないと考えました。

体調不良の原因を「扁桃腺」と定め、人生初の手術に踏み切ります。

 

手術がひと段落したところで、次は家づくり。

粛々と進んでいきましたが、夏のタイミングでスケジュールが狂います。

約束の日になっても見積りが出てきません。

見積りが出てこないと先に進めません。

結局、1ヶ月遅れました。

 

「遅れる」と一言あれば済む話ですが、関係者全員が遠慮しているのか、状況が分からず、1ヶ月間、モヤモヤが続きました。

自分の判断・行動でも反省すべきことがあり、周囲に迷惑をかけてしまいました。

 

正直、問題が複合的過ぎて、久しぶりに手に負えない状態に遭遇しました。

 

「あ、これうまくいかないだろうな」ということを見過ごした結果、案の定、うまくいかず、誰もそのボールを拾わず(あとで誰かが拾ってくれたのかもしれませんが)、せっかちな自分には我慢できず、結局、自分で巻き取ることになります。

こういうときに相手を信頼したり、小さなことは気にせず、みたいな正論もあるかと思いますが、自分は全然ダメでした。

 

しれっと何もなかったかのように傷をつけられているので、自分でも「?」と思いながら、でも自分の思い込みだろうと思っていたら、そうでもなかったという件が、この頃は多かったように思います。

自分も40歳を過ぎているし、少しは大人になろう、なんて偉そうに身構えていたら、まんまと削られていたわけです。

こんなことを繰り返していたら、さすがにムカついてきて、その気持ちを紙に書きだしては平静を取り戻していました。

そして、結論、もう少し自分に素直になること、戦略的に「かわす」ことを実践しようと決めます。

いい人ぶっていた自分をやめることにしました。

 

夏の理不尽な暑さの最中、親族の死まで経験し、色々と思うところがありました。

暑さ、葬儀、子育て、仕事、移動、家づくりで疲労困憊だったと思います。

 

その後の相続。

知識がないので、ゼロから学習しなければなりません。

相続は税理士さんの中でも「できる・できない」があるようで、顧問税理士さんに信頼できる相続に強い税理士さんを紹介いただき、対応しました。

このとき、妥協して別の税理士さんに頼んでいたら、ここで炎上していたように思います。

妥協しない選択は、自分の中で本当に大きかったです。

 

7月から12月まで、やるべきことが多過ぎて自分でも回っていないことを自覚していました。

改めて振り返ると、ToDoが多いだけでなく、気苦労が多かった。

知識として、立ち居振る舞いとしても、経験がないことでわからないことが多々ありました。

自分一人で完結することが少なく、関係する方々と進めないといけないことも多かったです。

 

言い過ぎかもしれませんが、42年間の中で一番大変だった1年だと思います。

それぐらいすり減りました。

 

もちろん、ポジティブ・プラスなこともたくさんあったし、思い出に残る1年ではあったものの、その逆が段違い。

そんなわけで、信仰心のない自分が厄年を調べ、厄明けを願い、大祓いにまで行ったわけです。

 

2025年の年始は、例年にない清々しさを感じています。

区切りの良いところまではやり切ったので。

 

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