私がボトルネックになってはいけない

仕事にこなれてくると、いつの間にか自分自身が、クライアントの成長や組織運営にボトルネックになっているケースがある。

正しくない頼られ方をしたり、形式的な活用をされたり。

悪意はまったくなく、むしろ善意から起こってしまう行為であり、自分自身もその環境にいることが当然のように感じてしまうこともある。

 

これが「成長」「進化」の結果だと勘違いすると、オジさんになったとき、後悔するのだろうと容易に想像がつく。

周囲に、自分を勝手に引き上げてくれるシステムがあれば、そんな環境は許されなかったりするのだろうが、そんなシステムはとうの昔に捨ててしまった。

 

安住すると危険。

敢えて、今の環境をピンチとみなし、つまりチャンスであると認識することが良さそう。

本年のさっそくの学びであったアンラーンや変化を、実際に試せる機会として楽しむしかない。

本音は「面倒くさい」だけれども。

 

今の自分には、自分のことを把握した上でフィードバックしてくれる方がほとんどいない。

大問題だ。

改善に向けて意識を変えているけど、まだ行動を変えれていない。

すぐに結果は出ないし、すぐに結果も求めていない。

じっくりやっていこう。

 

ラジオやポッドキャストで有益な音声を聞いて、その中で自分なりの気づきを得ていく方法が、これまで10年の独立経験で身につけた手法。

耳の痛い言葉には、瞬間的な反発が強い一方、反発が強ければ強いほど、これは私にとって重要かつ必要な提言なんだと気づける。

心地よい発言には、意味はない。

 

さて、どこから動くか。

思い立ったら、すぐに動くべし。

小さな失敗を経験しているのは、チャレンジしている証拠。

失敗を通じて気づけるのがチャレンジ。

決して成功からは気づけない。

 

もっとチャレンジする。

そして、もっと失敗する。

もう、この先10年は失敗の連続でも良さそうだ。

 

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