絵画のような借景で暮らす家を、あまり目指さなくなった理由

移住後の家づくり、正確には土地探しについて、もともと考えていたことは「絵画のような借景」。

田園風景、山の稜線、人工物が見えない、近隣の家とも離れている。

勝手に贅沢な環境を描いていました。

 

生活は努力すれば何とかなるけど、景観は何とかならない。

こんな価値基準で土地探しをスタートしましたが、移住先の地に住んで暮らしてみることで、こうした考え方は変わっていくものでした。

 

まずは何と言っても子どもの学校環境。

わかっているつもりでしたが、ここが優先順位の最高位であることに気づいていませんでした。

暮らしてみることで、学校環境が今後10年以上に渡って最も影響度が強く、不可逆なポジションであることを痛感。

「なんとかなるだろう」と安易に考えていた自分の浅はかさも感じることに。

 

学校まで徒歩で行けるか。

いざとなったら車で行くことはあるが、ルーティンとして車やバスの通学にならないか。

なんといってもここです。

住んで暮らしてみて、自分たちの価値基準に気づいたこと。

この生活環境が最も自分たちにとって譲ってはいけないポイントでした。

 

そう考えると、絵画のような借景やら絶景も難しくなります。

土地ってヤツは先行者利益の代名詞であり、このタイミングで生まれてきた自分にとっては不利な条件で進めなければいけません。

 

昔は雑誌をみて、「こういうの憧れるな~」なんて見ていた風景も、今では「学校環境とかどうなんだろう」とか、「自分にとっては贅沢だな」と、いい意味で割り切れるようになってきました。

 

それよりももっと大事なことがありそうだと。

しかも、これは自分たちがその地に住んで暮らして感じたことなので、説得力が強い。

人に言われたり、本を読んで気づいた、もしくは自分に言い聞かせて正当化した部類の話ではまったくなく、日々の生活や暮らしから五感で感じたことに素直に従った判断だからだと思います。

 

雑誌や本で書かれている内容は、線や面の1ヶ所をうまく切り取った寓話に過ぎないということが、家づくりや土地探しの心構えになりそう。

 

消費されて終わりではなく、その裏で常に動き続ける生活があり、子どもたちの成長があること。

文や写真で描けないものがたくさんあるし、たとえ描かれていたとしても、それに気づくには受け手側の状態が、いかに大事であるかを痛感しました。

 

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