独立後、「時間の自由」は自分にとってあまり意味はなかった

ある本を読んでいたら、「余暇」は「仕事」の中に組み込まれた概念であり、「仕事」を目的に「余暇」が手段の位置づけであることが書かれていました。

哲学書の部類なので、自分が読み違えている可能性がありますが。(たぶん大丈夫…)

 

最近、仕事と余暇、ここでは「遊び」と言い換えますが、この2つの境界線について考える機会があり、自分の中で整理しておいた方が良い概念だなと。

流されないためにも。

 

独立をすると、仕事と遊びの境界線が曖昧になるだとか、自由時間が増えるだとか、家族との時間が増えるだとか、ポジティブに語られることを目にする機会が多く、自分もそんなことを考えていました。

が、違和感があるのも事実。

 

自分は遊びの時間が欲しいために独立したわけでもないし、自由な時間が欲しくて独立したわけでもないので、この領域にフォーカスして自分を飾ろうとすると、どうも嘘っぽく感じるし、しっくりこない感覚があり、どうも違和感がぬぐえない状態でした。

 

時間というよりも自分の仕事・判断・意思決定に自由でありたい、そのための責任を負いたいという思いの方が強かったからです。

 

とりあえず自由を感じようと動いてみたものの、自由の先にある行為が目的でなく、人と違う自由を手に入れていること自体が目的になってしまい、自由に動いても、あまり面白くないなと感じてしまいました。

自分に「遊び」のスキルがないのも事実ですが、自分には合わないんだろうなと。

 

そんなことに時間を使うのであれば、自分は別の仕事に時間を使う方がいいかもしれません。

 

「遊び」は家族で週末がメリハリが効いて良さそう。

都内にいたら、ゴミゴミした中で逆にストレスを感じる週末でしたが、移住後はそれが解消されました。

無理に平日の混雑していない時間帯を狙う必要がありません。

 

変に自分らしさを追求するのも薄っぺらいし、「大人しく自分のやりたいように暮らす」のが最適なんだと気づけました。

 

真面目に、誠実に、なんて言ったら笑われそうですが、それが自分にとっての最適解なんだろうなと。

 

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