『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』を読み始めた、「素晴らしい本」としか言いようがない

取材・執筆・推敲 書く人の教科書』を読み始めました。

まだ、20%も読んでいないところですが、「なるほどな~」という心の声が鳴り響いています。

 

振り返りと言語化は、きちんとやりたいところですが、読んでいてコンテンツとしての「希少性」と「鏡面性」の話。

納得すると同時に、自分がぼんやりと考えていたことが言語化された感覚があり、気持ち良い読後感でした。

「だよな~」という感覚です。

でも、これぐらいシャープに言われると、「でも、なぜ希少じゃない、ありふれた情報で溢れているのか?」とも思います。

環境が整い、誰でも発信できてしますので、わかっていても仕事としてやってしまうんだろう、という背景も見えてきました。

自分もそんなのばっかりなのかもな、と強い危機感をもちます。

 

習慣なので仕方がない、と思うと、やはりこのブログは「自分のため」に書いているわけで、別の本で読んだ「誰も読んでないと思って書くべき」といったメッセージから始まっていることを改めて思い返しました。

今でも、その気持ちが根底にあります。

 

だから、書けているんだと。

だから、当然、フリーなんだと。 

Whyが、自分のためであれば、Howのフリーは当たり前で、Whatも自然とガイドされます。

 

初心忘るべからず。

 

あと、この言葉。

自分に馴染まない新語や流行語を使うことも極力控えるようにしている。

 

具体例として「腹落ちする」と「解像度が高い」。

自分は、人事領域だから?もしくは前職のクライアントの影響で「腹落ち」は新語でも流行語でもなく、10年以上、真剣に発していたので控えることはありません。

 

一方で、「解像度」。

これまったく引っかかる表現で、自分も極力控えていたのですが、使うケースもあったり。

他人が使うことは別に構わないのですが、自分が使うとなると、なんか気恥ずかしい気分でした。

それをスパッと表現してもらったようで、自分的にはだいぶスッキリ。

使うの止めよう、と決定です。

 

これだけ読んだだけで、モヤモヤが解消されたり、発見があったり、本当に鏡面性が高いというか。

プロの凄さを感じる限りです。

 

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