少し損をするぐらいが、ちょうどいい

 

損して得取れ

言われれば聞いたことのある言葉ですが、自分から使うことはなく、正確な定義もわかっていませんでした。

こういうところだらけです、自分は。

 

調べてみると

初めは損をしても、それをもとに大きな利益を得るようにせよ」(コトバンク)

でした。

 

自分としては、常に意識していたことだし、実際、その損を「損」として認識していなかったな、と気づきました。

自分として、その先の利益が見えている場合、ポジティブに損して得を取りに行っていたと思います。

案外、自分の得意領域かもと思っていたのですが、そうでもなかったようです。

 

 

相見積もり

リフォームする必要があり、ご紹介いただいたリフォーム会社さんに現地を確認いただき、御見積りをいただきました。

相場がまったく分からず、インターネットでざっと調べたところ、そんなに違和感はなかったのですが、1つだけバランスに欠ける項目がありました。

たまたま知り合いの方に専門知識があり、聞いてみると「たしかに、これは高い」と。

10万弱ほど差がありそうです。

 

なんか、その1つを違和感から本当にここに発注していいのか、と不安になります。

「損したくない」という余計な感情が強く出てきます。

 

そのとき、別の工務店さんをご紹介いただけることになり、同じようにご挨拶、日程調整、現場確認、御見積りとなります。

結論、「高い」と思われていた項目は、その通りで7‐8万は安くなっていたのですが、他の部分が高くなっていて、結局、トントンです(ほぼ変わりません)。

 

初めの御見積りをいただいてから約1ヶ月ほど経っています。

どちらかの会社さんには断りをしないといけません。

ほとんど金額差はないですし、技術力(品質)なんてわかりません。

どちらも誠実にご対応いただいていました。

 

結局、初めに御見積りをいただいた方にお願いすることにしました。

 

つくづく実感します。

自分はバカだし、こういう失敗ばかりだな、と。

 

小さいことになるほど、損したくない意識が強まり、無駄なことに時間をかけています。

本当にバカですね。

 

自分は、相見積もりって嫌いなんですよね(苦手ではなく、明確に嫌いです)。

相見積もりを受けることはありませんし。

コンペも嫌いで。

勝とう(取ろう)という気持ちもないし、実力不足なんで勝てません。

コンペしてまで仕事もらうという気分ではないんです。

 

その相見積もりを、生まれて初めて自分でやってしまったことに屈辱たるや、、、

損得勘定に屈してしまい、愚行を行った自分が恥ずかしい限りです。

 

本当に関係者の方々に申し訳ないことをしたな、と反省しかありません。

 

少し損するくらいが、ちょうどいい

手に取った本に、こんなことが書かれていました。

専門家や職人が相手のとき、彼ら彼女らの気分を盛り上げて、よりよい仕事をしてもらえるように接してはどうでしょうか。変に値切ったり、よその見積もりと比較して金額を下げさせるより、気持ちよく払うべきものは払って、より大きな価値を引き出せた方が、結果お得になるはずです。
 奥村 聡『小さな会社の「生き残る社長」と「潰れる社長」の習慣

 

いや、その通りですね。

1ヶ月前の自分に読ませたかった。

読んでいたら、相当、気分が楽だったと思いますし、無駄もありませんでした。

 

この本では「少しの損を課す習慣が、自分の心を整える」ともあり、大いに共感するところでした。

 

自分の頭で整理できている範囲で、戦略的に損をすることでその先の利益を得ることは、それなりにやってきた方なのですが、なぜ今回できなかったのか。

 

・その領域の経験値や知識が無かったこと

・周囲の声に惑わされてしまったこと(自分の中の軸が弱かったこと)

・お金に対して、その瞬間、シビアだったこと

・相手のことを、人として知らなかったこと

・利害関係がわかりやすく衝突していて、わかりやすく損したくない、と思ってしまったこと

 

この辺で判断がブレていったように感じます。

 

「損して得取れ」も、ケースバイケース。

これからは損は、気持ちの安定に必要な要素として捉えていこうと思います。

  

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