伝言ゲームはやめよう

伝言ゲームって、言葉を聞くだけもで良くないことだとイメージできます。

伝言ゲームで、良い話ってあるのでしょうか。

誰かを褒める、とか。

なさそう。

 

そもそも、伝言ゲームは問題なのでしょうか。

ふと立ち止まって考えてみました。

 

本意が伝わらない

伝える側、聞く側の変数次第で本意はいくらでも変わってしまうもの。

往々にして、本意がうまく伝わらず、論点がズレてしまうこともあります。 

 

共有にはコストもかかるわけで、伝言ゲームするだけのメリットがあるかないか、まで考えなければいけません。

ただし、伝言ゲームする人がこういったことを意識していないがゆえに問題が起きるわけです。

 

情報に権力が帯びる

情報をもち、伝える側に権力が自然発生してしまうことも懸念されます。

無意識にその権力を使って、自分の提案を通そうとする人もいます。

「~さんの意見だから」というロジックに、「正しさ」はありません

 

事実、事象でしかりません。

 

しかし、組織は、これで動くのも事実。

下位階層に、この構造を打ち破ることはできません。

常に上位組織が伝言ゲームに対して、目配りを送る必要があります。

 

責任が曖昧になる

伝言ゲームって傍から見ると、ボールの投げ合いで責任を投げ合っているようにも見えます。

 

伝言ゲームしないように、責任者をアサインすればいいだけなのではないでしょうか。

情報に対する権力意識の高さ、計画性のなさが、この辺の悪さをしているように思います。

 

伝言ゲームの元情報を発信する側も、相手側に責任者というか、最もコミットする人の有無を確認しなければなりません。

このやり取りを2-3回は丁寧に繰り返すと、相手も学びます(警戒します)。

 

やんわりやってはいけません。

人は自分で気づける人と気づけない人、言われないとずっと気づかない人がいます。

 

性善説・性悪説、X理論・Y理論とかも大事だけど、シンプルに「コト」に向かうことが大事なんだと思いました。

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