自然に、ブログを書いてみる

沖縄で見たアデクの葉。

日焼け止めするため、薄いピンクになっているようです。

とても美しい植物でした。

 

さて、平日のブログ執筆をやめて、およそ1ヶ月が経過。

1ヶ月を振り返り、今の気持ちも書いてみる。

 

書かなくなって、どうだったか?

毎日(平日)書かないといけない、という自分に課した謎のプレッシャーから解放された。

自分自身に強制していたルーティンから感じる強迫感は、そこそこのストレスであり、立ち止まったことは正解だった。

書くことを止めるまでは葛藤があり、何かと理由をつけて書くことを正当化し、無理していた。

でも、やめてみたら思いのほか、罪悪感はなかったし、実際の所要時間を超えた体感時間を捻出できるようになった。

 

PVなどの閲覧状況も、ほぼ変化は無し。

嬉しかったことは、読んでくださっている方から「ブログ更新されていないけど・・・」と声をかけていただいたことです。

 

なぜ、ブログを停止した?

年末から体調が優れず、特に2月後半から3月はひどかった。

心身ともに不調で、今思うととても仕事どころではなかったと思う。

3月に上咽頭炎の治療を始めて、鍼灸院でも診てもらい、2ヶ月ほど経ってやっと立ち直ってきた感覚がある。

 

こんな状況の中で、おそらく頭も回っておらず、ネタ切れだったことも原因。

書くネタが思いつかず、考える気力も時間も不足していた。

 

こういうとき、以前の自分なら無理してでも乗り切ってきたが、もうそんな時期でないことも自覚。

とにかく、やめる(やすむ)ことでストレスを最小化した方がよいと思った。

その判断は、至極正解だった。

 

年齢と子ども

やや話は脱線。

無理して乗り切ることができなかった理由として、2つが思いつく。

 

年齢。

今年43歳だが、確実に心身ともに折り返しを経て、変化の時期。

世の中の会社員は、これからが出世競争本番かもしれないけど、世の中の会社員ではない自分にこの世相を自身で押し付けることはバカバカしい。

ネガティブでもポジティブでもなく、今は受け入れており、日々の変化は手に取るように感じられる。

自然に合わせて動く方が賢明である。

 

そして、子ども。

2人だったら、何とかなったかもしれない(この考え方がそもそも危険)が、3人はキャパオーバー。

これは直近1年で痛感していること。

子ども1人でも育てることは大変なのに、ましてや2人、いや3人!

無理ゲーだ。

子どもが嫌だとか、憎いだとか、そういった話ではなく、無理ゲーがここにあったと理解できることで、肩の荷が落ちてきたのかもしれない。

人それぞれ環境が違う中で、自分戦略を設計し、実践することに意味を深く理解した気がする。

 

なぜ、今日書いてみたのか?

時間ができたから。

GWで、目先のジョブに余裕が。

捻出したわけでもなく、早起きしたわけでもない。

 

1ヶ月ぶりに「書きたい」という強い気持ちが抑えきれなくなったわけでもない。

ネタがあり、そして時間があったということ。

もしくは、時間があり、そして(ひねり出さずとも)ネタもあったということかもしれない。

 

今後も、こんなスタンスで書いてみよう。

惰性で書くことはやめたい。

惰性の反対は、何だろう。

意欲ではない。

意思でもない。

2‐3分考えた結果、「自然かも」と思った。

 

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