自分の歪んだものの考え方を、矯正することにしました。
明日、少しでも(仕事が)楽になるように今日できることをやってしまう
前倒しでできることは、なるべくやっておく。
自分も無意識にこの考え方を取り入れていましたが、自分にとっての「前倒し」は健全でないと気づき、一切やめることにしました。
この起源は何なんだろう、と思ったとき、昔のシーンが思い浮かびました。
今できることをやっておかないと、後でどんどん仕事が増えるので時間が足りなくなってしまうという恐怖心。
空き時間・余白がうまれても、「もっとできる」というプレッシャーが強烈に押し寄せてきます。
ただ、どんなに努力しようが仕事は一人でできるものではありません。
仕事の時間に対するメジャーが異なるチーム・組織で働けば、自然と時間は足りなくなります。
結果、徹夜しなければなりません。
自分の作業処理スピードが遅いからと謙遜するつもりはなく、組織としてのカルチャー、マネジメント、そしてそもそも量と質が適正でない、という理由から必然的に時間が足りなくなる状況です。
「寝れない(寝させてくれない)」というのは、人間にとって恐怖でしかありません。
そんな経験が、自分の仕事の取り組み方に対して「歪み」を与えてしまったんだと思います。
何となくわかっていたつもりでしたが、どちらかというとポジティブに捉えていた節もあります。
だからこそ、できること・考えられることも増えてきたと。
ただ、これは憎むべき忌まわしい考え方だと心底、思えるようになりました。
現状を正しく把握できない
このバイアスに無意識に染まってしまうと、現状を正しく把握できず、常に「不足」の気持ちになってしまいます。
「満足できない」というよりは、「満足してはいけない」との前提に立っているので、常時、何かが不足しており、それをリカバリーしようと仕事に時間を投入します。
空き時間や余白ができても、何かを稼働させていないと安心できなくなってしまい、つい頭や手を動かそうと。
しかし、本当の気持ちは「もうやりたくない」なのです。
でも、今やっておかないと後で後悔するかもしれない。
いや、むしろ今やっておけば、将来(明日もしくは今週・来週)は楽になるだろうから、結果、満足することになるはず。
常に先の満足を求めて、今を削っているので常に不満足の状態です。
この思考回路は、体も心も頭も休まりません。
本当に良くないですね。
何のために働いているのか。
とりあえず、「もっとできる」を無視する
この気づきは、たまたま書店で立ち読みした本から得ました。
- 坂口恭平 著『自己否定をやめるための100日間ドリル』
自己否定の1つとして「もっとできる」思考が紹介されていました。
個人的に思うところがたくさんある本で、食い入るように読んでしまった本です。
しかし、仕事を終わらせてもまったく満足してくれないんです。なぜでしょうか。それは常に「お前はもっとできる」という声が聞こえてくるからです。(P88)
上記の引用、本当に怖い話です。
当初、自分で「もっとできる」と声かけしているイメージでしたが、誰かが心の中で発言していると気づいたとき、「おー、なるほど」と膝を打ってしまいました。
これこそ、無意識のバイアスなんだと。
自分で自分自身に言い聞かせているなら、それに従ってもおかしくありません。
だから、自分は無意識的に従い、「もっとできる」と(できないにも関わらず)時間を投下していたわけです。
自分で気づくの遅すぎる。。。
もし、この本を立ち読みしてなかったら、ずっと気づいていないので?と考えると震えるぐらい怖いです。
まずは、「もっとできる」思考の抹消に向けて、「もっとできる」と声が聞こえてきたら無視するようにしました。
反論するのも面倒だし、反駁されてしまうリスクもあるので、反論はしません。
聞こえないふりをして、徹底的に無視する作戦です。
まだやり始めですが、意識して無視しないと強力に引きずられてしまうほどの威力だとわかりました。
おそろしい。
この気づきは、自分の仕事観、さらには人生観にも深い影響を及ぼすことになりそうです。
今はこういった遠回りな思考を頻繁に行っていますが、いつかこの無駄足がプラスにはたらくことを信じて、取り組んでいくのもアリかな、という見立てです。