難しい課題に立ち向かう方を見ていると、この人は「(仕事から)逃げない」人なんだな、と勇気をもらうことがあります。
「逃げない」は、誉め言葉
「逃げない」という言葉を、ある種ポジティブに使っています。
課題に立ち向かう、最後まで諦めない、最善を尽くす、といった意味が含まれています。
達成志向にも通ずる言葉です。
ちなみに、明らかな負け戦や、そもそも挑んでも意味がない戦いに「逃げない」という意味合いは含んでいません。
この場合は、前提をきちんと見極め、擦り合わせ、やるべきことをまず定義することが大事です。
「逃げない」スタンスの方は、もちろんここを抑えています。
「逃げない」の反対語は、「逃げる」なのか?
結論から言うと、「違う」と考えています。
「逃げる」は、ネガティブな表現です。
やると言っていたのにやらない、約束を破る(反故にする)、ウソをつく、はては「誠実でない」とまで解釈されるケースもあるかもしれません。
「逃げない」の反対語を「逃げる」としてしまうと、どんなに厳しい場面でもやり抜くといったマッチョな価値観が制してしまい、多種多様な不都合・バグが生じてしまう恐れがあります。
相手が理不尽なケースでは、そのバグが本人のメンタルに強く影響を及ぼしてしまうこともあります。
「逃げない」という見方は、自分の中で腹落ちしていますが、逆を「逃げる」と捉えてしまうと問題につながってしまいます。
そこで「逃げない」の反対語は、「選択する(選ぶ)」と捉えるようになりました。
諦めずにやり抜くのも1つの選択だし、諦めて別の道に進むのも1つの選択であると。
当人が、1つの重要な選択の結果として、やらない、というのは大事な考え方だと思います。
その選択が続けば、結果としてどのような状態になるのかは本人の責任ですし、それを受け入れる(もしくは乗り越える)のも必要です。
自分は、「逃げない」人間か?
残念ながら、まったく、そんなことありませんでした。
「逃げる」という選択を、しっかりとやってきたようです。
「逃げない」人間だと何となく思っていた(自負していた)のですが、現実はそんなに強い人間でなく、身体と同じくらい十分に弱い人間だと、改めて理解する今日この頃です。
何度か逃げずに頑張った経験がバイアスになっていると思いますが、そう、これは完全なるバイアスです。
40歳を超えて、この辺弱くなったなー、「逃げない」と言ってられないなーなんてカッコよく考えていたら、いやいや昔から戦略的に選択してきた自分を見つけました。
「イノベーションをどう起こすか?」という課題に対して、そもそもその気がない人・組織を変革することに何の価値があるの?と立ち止まってしまい、プロジェクトから「逃げる」選択をしたことを思い出しました。
時間の無駄としか思えなかったし、やっても成果出ないと思ったので、適当な理由をつけて帰ってことを思い出しました。
その当時は、思いのほか興奮していて、やってしまったという気持ちと、いやでもこれは関与してはいけない仕事だ、という気持ちが錯綜していました。
今考えても、やらなくてよかったし、結果はもちろん、、、
自分の判断が正しいかどうかはわかりません。
だから、自分の頭で考えて納得して前に進めばいいかな、と軽く考えられるようになりました。
「役に立ちたい」という意思はあるものの、「この人の役に立つ必要はない」と考えられるようになったということ。
人として敬意を示せない人に好かれる必要はないし、自分も同じです。
相性を見極めて、粛々とやっていくぐらいが、自分にとっては良さそうです。