子どもが生まれたら、親になれるというわけではない

(自分にとっては)子育て、難しいですね。

大変。

  

ラジオでジェーン・スーさんが、子どもが生まれたら、親になれるわけではない、といったような会話をしており、そうだよな、と思ってしまいました。

言われてみたら、当然だと思うかもしれませんが、自分が親として未熟であることをネガティブに捉えてしまう部分があったのですが、この言葉を聞いて当たり前なんだな、と気づきました。

 

子どもが誕生して、自分が親という役割を急に背負うことになっても、その役割付与と同時に自動的に成熟した親になれるわけではない、という意味合いだと思います。

当然ですよね。

そんなことやったことないし、自分のやることも忙しいし、でもそんなこと言ってられないし。

 

一人目の子育ては、仕事で独立するタイミングも重なって、何をやったかも記憶がないぐらいで、ただただ自分の悪いところが出たな、という振り返り。

二人目も、同じことの繰り返しだったのでは、と今の記憶では思ってしまいます。

三人目は、以前よりは余裕ができているんだろうな、と思う反面、自分は全然子育て力が成長しているとは思いません。

家族一丸で育てていることで、何とかやり繰りできていると思います。

 

話は変わりますが、マネージャーの役割が付与されたら、成熟したマネージャーになっているというわけではありません。

親もマネージャーも同じですが、親の方が成熟できていないといけないように感じます。

親の役割を退任することも(自分の価値観では)できないですし。

 

マネージャーになる際、新任マネージャー研修があるように親になるのも研修が必要ですね。

そういうのが自治体などで提供されているとは思いますが、足を運んだ経験は無い、もしくは記憶にありません。

もう少し体系的に子育てを学べる機会があってもな、と思う一方、あればあったで文句言うんだろうな、とも思います。

 

スーさんが「親にされたことしか、自分の子どもにはできない」みたいな発言もしており、なるほどなーと腹落ちしている自分もいます。

正直、子どもと遊ぶのが苦手な方だと思うのですが、自分も親と遊んだことは少なかったです。

自営業のため、3ヶ月に1日ぐらいの休みしかなかった親と遊んだ記憶は、鮮明に覚えているぐらい数が少なかったと思います。

 

これを自分の子どもが、さらにその子息に受け継ぐとなると困るだろうな、と気づいたこともあり、直接遊びはせずとも時間をともにする機会を増やそうと日々、試行錯誤です。

「遊ぶ」って苦手ですね。

自分の中では、思考が遊びだったりするので、「遊ぶ」という表現で括られる行為をすることに、やや抵抗感を覚えます。

 

遊べていないことを、自分の想像する周囲から責められているように感じているのは、自分だけでしょうか。

「遊ぶヤツの方が偉い」みたいなマウンティングを感じているのは、なぜか。(わかりません)

 

色んな意味で遊んでいるとも言いたくないし(言われたくもないし)、一緒にいるぐらいが自分にとってはちょうどいいのかもしれません。

 

子育ての話から、だいぶ逸れました。

子育て、難しいですね。

でも、楽しい場面もたくさんあるんですが。

 

なんで皆さん、そんなにうまくできるんでしょう。

隣の芝生は、かなり青いです。

 

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