来年(2025年)からジブン手帳を使って、セルフマネジメントする予定です。
12月から試しでジブン手帳を触っていますが、自分の「計画」に致命的な課題があることに気づきました。
計画しているようでしていなかった(わかっているつもりでやっていなかった)
毎年、1年間の計画をドキュメントツール(今はNotion、昔はエバーノート)にまとめていました。
そして、1日と1週間の振り返りを手帳に簡単に書き込み、1ヶ月・6ヶ月・1年間の振り返りをドキュメントツールで行っています。
家族で年始に、今年はどんなことをやっていこうか、という目標を考えたりもしていましたが、その時の気分を上げる年始行事ぐらいになっていました。
主に計画・時間管理のビジネス書を読むと、目標を立てて、実行計画を立てて、スケジュールを組むまでをワンセットで行うことが推奨されているように思います。
自分も何となくそんなことをやっているのかな、と思っていたのですが、「スケジュールを組む」という部分が完全に抜け落ちていたことがわかりました。
結果、自分の悪い癖である受け身の計画・時間管理になっていたことに気づきました。
「計画」ではなく、「実績」の振り返りしかできていなかった
翌年の計画や目標を考えるまでは良かったのですが、その先の実行につなげるまでのプロセスに課題がありました。
自分としては、年間計画を考えているつもりだったのですが、それは計画ではなく、実績でした。
年間計画ではなく、年間実績。
振り返りは強化してきたし、いつもでできるように仕組み化されているのですが、計画の部分が出来ていなかったということです。
具体的には、これまで7年使ってきた能率手帳ゴールドの「年間予定表」の使い方に課題がありました。
年始には、今年どうしようかな、夏季休暇いつ取ろうか、旅行に行こうか、キャンプは?などと思いを巡らすのですが、スケジュールにまでは落とし込めず、2‐3ヶ月前になったら考えよう、と終わっていました。
年明け以降、この手帳は1日と1週間の振り返りに使っており、毎朝使っているのですが、これは「計画」ではなく「実績」を記録するための手帳(ツール)です。
しかし、自分の気持ちの中では、この手帳を「実績」と「計画」も含めてセルフマネジメントするためのツールと位置付けていました。
過去分を見返すと、しっかりと「実績」は記録されています。
いつごろどんなイベントがあったか、いつ体調を崩したか、など。
計画の要素は「無い」わけではありませんが、機能はしていません。
要するに「無い」と一緒です。
年間の予定を能動的に設定できていないゆえ、自分の意思というよりは、環境要因や想定外のことが起きたとき、思いついたように時間をつくって限られた選択肢の中でやり繰りしていました。
自分の中でも「やるなら、もう少しうまくやりたい」という何とも言語化しにくい課題意識があったのですが、自分の仕事の仕方や家族の予定をやりくりするのは大変だという思い込みによって改善が進んでいませんでした。
結果、自分or家族のイベントを実行するとなると、最善を尽くすもどうも損しているような気持ちに苛まれることになっていたわけです。
ジブン手帳で気づいた「計画」
能率手帳は「実績」を書き込む手帳、一方のジブン手帳は「計画」を書き込む手帳と使い分けることにしました。
「実績」は能率手帳の方で捌けるので、ジブン手帳には「計画」だけを書き込むことにしました。
「計画」でカバーすることは、今のところ、こんな内容になりました。
- 目標
- ToDo
- 旅行計画
- やりたいこと
- 行きたいところ
- 買う物リスト
これまでNotionに書いていた内容をジブン手帳に移管するイメージです。
Notionだと、安定的に見る機会が作りにくかったので、紙媒体の手帳で毎日安定して見る機会をつくり、1冊の手帳を更新する形をつくろうと思います。
12ヶ月を見渡せる年間予定表に、誕生日や学校の行事・予定、旅行日程、県民の日(学校がお休みになる)などの「計画」を書き込むと、「実績」を書き込んだ年間予定表とは、まったく違う景色になっていることに気づきました。
「あ、今まで年間の計画をつくってこなかったのか」と気づきを得た瞬間で、強い衝撃を受けました。
ジブン手帳の片隅に、1日の「実績」を記録するスペースもあるので、「計画」と「実績」を1つの手帳にまとめてしまおうかとも思いましたが、これをやると思考がごちゃまぜになる懸念を感じたので、「1ツール1目的」を原則にして、2冊の手帳をセルフマネジメントに使うことにしました。
2025年に運用する過程で変わっていくかもしれませんが、まずはこの2冊体制がしっくりきたといったところです。
新しい手帳を2週間ほど使ってみただけなのですが、想像以上の気づきを得られており、驚いています。
新しいことに(とりあえずでも)試してみることの重要性を肌で感じました。
シンプルに言えば、「計画」ができていなかったという恥ずかしい話なのですが、自分にとっては衝撃的な気づきだったというわけです。