40歳を超えてから、家をつくるメリット

建築士さんから見積もり用の図面が完成した旨をご連絡いただいた。

まだ何点か、こちらの判断ができておらず、最終決定できている箇所はあるのだが、大きな変更点は無いだろうし、見積もり額の幅も見えているので、いったん図面を工務店に渡し、見積もりを依頼することになる。

約1ヵ月後のお盆の頃、数字とのにらめっこが始まる。

ここ1ヵ月は、建築士さんと対面もしくはZoomでの打ち合わせが続き、一気に詳細設計を仕上げていった。

建築、住宅、思考が好きな自分にとって、上質な時間であったことは間違いない。

設計を進める中で、何度も「早く、この家が欲しい」と叫んだし、10年前の30歳代前半で住むことができていたら良かったのにな~と思うことが多々あった。

しかし、よくよく考えていると、41歳のこのタイミングだからこそ、この家の設計につながっているということがわかった。

家を建てるには、少し遅いタイミングかもしれないが、その遅さゆえのメリットに目を向けてみたい。

 

メリット①家族構成が出来上がっている

家を設計する際に意識したことは、個人主義。

個人の部屋や収納を用意して、それぞれの縄張りをつくった。

子どものころ、自分の部屋がなかったことに対して、強い負の想いがあるため、子どもたちにはそれぞれの部屋を用意したいと思った。

自分が調べてきた範囲だと、最近は子ども部屋を設けず、大きな部屋を家具で仕切ったり、カーテンで仕切るケースもある。

将来的に子どもが独立し、家を出ていった後、夫婦だけで暮らすことを想定した間取りであったり、造りであったりする。

合理的なのかもしれないが、自分はこの考えに与しない。

将来なんてわからないし、子どもが家を出ていくまでの時間をいかに有意義にできるかを考えたいし、子どもがそこにいたという形跡も残したい。

予算の問題を合理性で上書きしているようで、どうもしっくりこない。

この前提で考えると、今現在、この先の家族構成は見えている。

将来のことはわからないと書いておきながら、矛盾を感じるが、それを横に置いておき、その家族構成に基づいて、部屋や収納を考えることができた。

「将来、こうなるから・・・」といった考えは、今回の設計では一切考慮していない。

今の自分たちに合わせた最適な空間をつくるべく、設計に腐心した。

 

メリット②必要なモノをある程度、取捨選択できている

30代前半の自分・自宅を考えると、モノで溢れかえっていたと、今だと気づく。

あれば便利なもの、将来使うかもしれないもの、衝動買いしたもの、捨てに捨てられないものなど、必要性に乏しいものまで抱え込んでいた。

約10年かけて、その多くを手放してきたし、後悔はあまりない。

「あまりない」というのは、1つだけ強く後悔しているものがあるから。

それは、仕事で使う本。

さて、多くのモノを捨ててきた分、何をどこに収納するのか、のシミュレーションを設計の段階で細かく実施した。

どこに何を置く、どの列にこれを置く、どの高さがちょうどいい、という感じに、家にあるモノをすべて書き出し、寸法を測って置くべき場所を決めた。

手の届かない場所に置くべきモノや季節ごとに使用する家電、あとひな人形とか、既に置く場所の仮説はある。

そして、このモノが目に入らないようするために、開き戸を設置したり、階段下におけるよう調整した。

おそらく引っ越しの際、「え、入らない、、、」なんてことはあるだろうが、それはそのときに楽しみたいと思う。

 

一方、今後増やしていきたいモノも当然あるわけで、その収納は余白を持たせて設計した。

例えば、器。

昔は、同じ器でどんな食事にも対応していたが、最近、器の魅力にハマってきて、これはそこそこ増えていくだろう。

料理の味は器で8割ぐらい決まるなんてことを聞いたが、あながち間違いではない。

高級料理店ではなく、自宅で自分がこだわった器で食事がとれるというのは、日々の幸せになり、複利のように積み上がっていく。

 

メリット③価値観が見えてくる

30代までは、他人と比較したり、自分の価値観というよりは他人の価値観で判断していたことがたくさんあったと思う。

その中でうまくいったこともあれば、うまくいかなかったこともある。

それ自体も経験であり、自分の形成に役立ってきたと思うが、やはり40歳に入ってから、そうした「周り」からの影響を緩和できているように感じる。

あくまでも感覚の話ではあるが、、、

自分がどうしたい、こうしたい、ということをきちんと主張できるようになったし、それがダメだった場合には建設的に次に迎えるようになっていると思う。

他の方であれば簡単にできてしまうようなことが、自分にはできていなかったと心底思う。

本当に未熟だったのだ、自分は。

なぜ、吹っ切れたのか。

時間に余白ができたからだと思う。

なぜ、余白ができたのか、に続けていくと沼にハマるので、ここでは避けるが、余白がキーであることは間違いない。

余白が余裕となり、自分を信じれるようになった、つまり自信になってきたんだと思う。

そうなってくると、自分の価値観がカッコ悪いところを含めて見えてくるようになるし、それを隠すこともしないようになってくる。

自分の意思で何かをやり抜くことは苦手だし、人とコミュニケーションを円滑に取ることも得意ではない、アートやサイエンスにも疎いし、教養もまったく無い、古典とか全然読めないし、文学とかも一切ダメ。

TVでプロ野球見るのが娯楽だし、町中華と孤独のグルメで事足りる。

甘党でお酒も好きだし、移住してからはミスドばっかり食べている。

高級なお菓子も美味しいが、ミスドの方が全然好きである(とくにゴールデンチョコレート)。

イオンモールのような鄙びた空間も落ち着くし、軽自動車で走ると気分爽快。

そんな自分がわかってくると、身の丈にあった思考や提案ができるようになったと思う。

この思考や提案が、家の設計に役立ったし、納得につながったことは事実である。

 

何を書いているか、ちょっとわからなくなってきたが、今(41歳)で家をつくるのも、こう考えると一概に遅いとも言えないのかもしれない。

最適なタイミングであったかどうかはわからないが、少なくとも自分にとっては「悪くはない」タイミングであったと言えるのはたしかだ。

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