日経ビジネス(2244号)の特集は、定年制でタイトルは以下。
- 「65歳の崖」を超える シニア人材、総力戦化の条件
定年を引き上げたり、シニア人材の活躍や制度を紹介したり。
YKK社が定年廃止に踏み切ったことで締められている。
率直な感想として、あと100年は定年制が生き続けるんだろうなという悲壮感。
なぜ、年齢を理由に雇用契約を決めたり、報酬額を決めたりするのか、に対する納得感はない。
各社でシニア人材に対して定年が近づくと実施される「研修」が不思議でしょうがない。
サントリーは、43歳と58歳で必須参加のキャリアワークショップ、旭化成は50歳と55歳を節目に集合研修や上司面談で見つめ直す機会をつくる。
どんなことをやっているかはわからないが、非常に興味深い。
ただ、こういう研修を受講させる会社と受講する人で構成される組織で、自分のキャリアを自立的に考えることはできるのだろうか。
1つの会社で30年とか居続ければ、外を知らないわけであり、キャリアなんて考えることはそもそも不可能だと思う。
50歳でキャリア研修は、手遅れでは。
こういった研修にどんな効果があるのか、自分の体験もないまま、わからない中で書くことは不遜ではあるが、日本企業は残酷である。
ただ、最近思うこととして、年齢を経れば自然に大人(まともな人間)になれるか、というとそういうわけでもないんだということ。
自分の中で、例えば「50歳」であれば大人であろうから、会社がそんな研修なんてやってくれるな、と思っている節があるが、現実はそんなもんでもないんだろうと思うようになった。
「働き手を子ども扱いしない」という価値観が強くあるが、意外と大人になり切れていない人が多勢なのかもしれない。
そういう自分もまだまだ未熟なんだろう。
だからといって、50歳でキャリア研修は勘弁してほしいが。。。
話を戻すと、そもそも定年制というコンセプトがあることで、誰も責任や説明を放棄できる環境が出来上がってしまっているように感じる。
60歳で役職定年、65歳で定年退職と再雇用。
問題があっても、この年齢になれば100%の確率で話を進めることができる。
受ける方も受け入れざるを得ない。
人としての「自由」が侵害されているようで、部外者からすると納得感の欠片もない制度だが、郷に入っては郷に従えということなんだろう。
なぜ、65歳とかで報酬が3割や4割カットされるのか、合理的に説明して自分を納得させてほしい。
おかしいことに対して、おかしいと言えない事実が、「大人」のど真ん中で行われていることを考えると、世の中がおかしくなっていくことも不思議ではないと考えるようになった。
「年齢を重ねれば大人になれるわけではない」と早めに気づけたことは、会社組織に属さない人間にとって重要だったかもしれない。
そういう意味でも、自分自身が年を重ねると同時に「まともな人間」になれるよう日々考えて行動しないといけないとわかった。