心理的な負担、ストレスがない環境で働くことは誰もが望んでいることだと思います。
そのような発言をしても、それを尊重し、受け入れてくれる環境は、ビジネスパーソンのパフォーマンスに大いに影響を与えます。
この尊重する、受け入れるという行為を、個人の「特性」に起因すると思い込んでいる自分がいましたが、いや能力なのかもしれない、と考えるようになりました。
同じことを発言しても、受け入れる度合いは対個人・対組織によって全く違います。
「相手の意見を尊重する」ということを全社員に求めようとなった場合、それが十分にできている組織こそ、「それ大事だよね」「まだまだ、できていないときがあるよね」といった反応が返ってきますが、できていない組織は「そんなこと、みんなできている」「レベルが低すぎ」と、尊重を欠いた発言が出てくるのです。
これを「特性」と勝手に思い込んでいる部分があったのですが、そうではなく、能力だと捉えるようになりました。
チープな言い方ですが、「理解力」の違いです。
そもそも「尊重すること」がどういうことであり、どういう行為が尊重ではないのか、また尊重した結果、どういう効果が期待できるのか、を知らない(知識がない)ため、尊重に対する認識が揃いません。
自分なりの定義がズレている(目線が低い)こともあり、「そんなこと、みんなできている」「レベルが低すぎ」といった反応につながってしまいます。
本来、ここで冷静かつ的確なフィードバックができると相手を引き上げることができますが、それができないと、なんか文句言って満足する終わり方が組織内に蔓延ります。
ストレスが溜まります。
ただ、こういう組織に「御社の組織ってどんな組織ですか?」と聞くと、結構な頻度で「いい人が多い」という発言が返ってきます。
この「いい人が多い組織」って思いのほか頻繁に使われるワーディングです。
尊重することができない人が多い組織でも、「いいひとが多い組織」だったりします。
「いい人が多い」というワードで組織を特徴づけるケースは、個人的には危険だと見ています。
それ以外のワードで表現できないということなんだと。
ちなみに「いい人が多い組織」の反意語は、「悪い人が多い組織」なのか、「いい人が少ない組織」なのか。
『反脆弱性』を思い出しました。(ガラスをたたくと割れます。衝撃に脆いため、脆弱とされます。脆弱性が高い。その反対の概念は?叩いても割れないガラス?いや、そうではありません。叩けば叩くほど、衝撃に強くなっていくガラス。これが反脆弱性の概念。目から鱗でした)
私は、「いい人が多い組織」の反対は、「優秀な人が多い」組織だと思いました。
能力やスタンスがずば抜けている組織だと「どういう組織か?」と聞かれると「優秀な人材が集まっている」とレスポンスされます。
そして、その後に「あんなに優秀なのに、みんなまともだし、人柄も悪くないんですよね」といったニュアンスが続きます。
「頭のいいヤツって性格悪い人だったりすることもあるけど、まったくそんなことないんです」と仰っているんだと思います。
何となく、その気持ち察します。
「いい人が多い」っていう表現は、あまり使わない方がいいかもしれません。