現場の人事を知らない人ほど「ジョブ型」って主張しているような気がする、なんて言ったらお叱りを受けるかもしれません。
でも、「ジョブ型は?」とか言われる相手と付き合っていると時間を無駄にしていると感じてしまう自分がいます。
「すいません、ジョブ型ってヤツを知らないのですが、僕にもわかるように教えてもらえますか?」と嫌みな気持ちで逆に問いかけた場合、おそらく自信をもってレスポンスできる人はいないだろうけど、これやったら自分の信頼がなくなるだけだから、ぐっと我慢しようなんてことを思ったり、思わなかったり。
人事は「納得感が大事」と答案用紙に書かれているようなことを唱えるケースは多々ありますが (事実、僕も言っているわけで)、「誰の」納得感は非常に大事だと思っています。
間違った人の納得感を追求すると、間違った結果にしかならないので。
さて、先日読んでいた本で「JobGrade」という等級制度を見ました。
いわゆるジョブ型だと思うのですが、その説明に「そのジョブに求められるコンピテンシーを定義している」といった内容が書かれていました。
コンピテンシーとは、わかりやすく言えば「能力」です。
ジョブ型=仕事と言っておきながら、その仕事に求められる「能力」でグレードを決めるらしい。
でも、ジョブ型ってこれぐらいの話だと思っています。
そもそも、そんな単純な話でもないし、ジョブ型だからといってメンバーシップや能力(職能)の要素がないとも言えないし、その逆も然り。
このワードが出てきたことで、より人事が「専門性の低い専門領域」に見なされるようになったと思うし、現場で制度設計する立場からすると、外野に使いやすい武器を持たせてくれた感覚は否めません。
結局、どんなジョブにしてもそのジョブを捌くための技術や知識が必要になります。
営業なら営業としての技術、経理なら整理としての知識が。
どんな仕事でもそうです。
本来、この技術や知識は自社以外でも有効に使えることが大事になってきます。
それが転職の可能性につながります。
ただ日本の企業は、その会社でしか使えない特殊技術・特殊知識になってしまっている。
ここが本質的な問題だと考えています。
ある種、オリジナルを突き詰めた結果と言えるのかもしれませんが、現実はそうではありません。
技術ではなく、人間関係や上下関係で仕事を進める癖がついているので、自社以外では仕事を推進する力が伸びないというのが自分の理解です。
基本的に組織で仕事をするということは、一人の作業ではなく、複数人での協働になります。
要するに、自分だけでなく、人と人との関係性の中で仕事は進みます。
なので、その関係性にうまくフィットできること、そして仕事をこなすための能力があること、この2つが成果を出すために求められます。
たとえ、後者の能力がアッとしても関係性がフィットしないとパフォーマンスは上がりません。
「実力はあるんだけど・・・」と言われて、煙たがられる存在になります。
逆に、関係性をうまく構築できているけど能力がないパターン。
2-3年なら付き合えるけど、4-5年の付き合いになってくると、いい加減自分でやってくれよ、と言われてしまいます。
3年程度でローテーションしてくれる会社だと、意外と評価されてマネージャーぐらいになっているかもしれません。
この「関係性」は、たくさんの会社で仕事を一緒にしていると実感できます。
Aという会社ではパフォーマンスを発揮できないけど、Bという会社では生き生きと成果を出している方がいます。
会社という器とその周りにいる人との関係性の中で、水を得た魚のように人が変わっていくのです。
その変わりようを実際にこの目で見ると驚きです。
同じ人には見えないくらい。
プロ野球の現役ドラフトでチームが変わった選手が、新チームで大活躍している姿に似ているかもしれません。
新チームでの関係性、その状況によってもたらされるモチベーション、試合で成果を出すことでの自信、心機一転の節目など、環境が変わることですべてが好転するイメージです。
もちろんその裏には凄まじい努力があるはずですが。
いろいろな会社(スタートアップ)と仕事をしていると、ほんと各社各様だと実感します。
何十年と同じ会社で仕事をすれば、その会社に染まるのは当然であり、その環境で褒められれば外にチャレンジする意味はなくなります。
会社は変わらず、環境が変われば、その後の成り行きはわかります。
適度な新陳代謝は、必要です。
過度な新陳代謝ではなく。
そんなジョブ型の話よりも、人事業界では議論すべきテーマがあります。
解雇規制や降格降給の社員にとってネガティブなテーマをいかにフェアに実施できるようにするのかとか。
現在の明らかにアンバランスな状態が続くと、優秀なメンバーは日系企業からいなくなってしまうのではないかと不安になってしまいます。
日系企業の人事でなんと言っても気になることは、年功序列。
まず、まだまだ全然存在していることを認識するところからスタートです。
新卒採用、初任給、退職金、定年制度って「年功序列」を代表しているサブシステムです。
以前読んだ本で、「年」=経験、「功」=功績を分けて「年と功」で見れば問題ないが、「年の功」で捉えると間違った制度になってしまう、と書かれていたことを記憶していますが、まったくその通りだと思いました。
「年と功」はフェアですが、「年の功」は先に生まれたもん勝ち(先に入社したもん勝ち)なので、フェアとは言えません。
僕が支援させていただいているスタートアップでは、年功序列はないし、皆さん嫌っています。
余談ですが、人事制度を設計する際、「どんな制度は自社に合わないと思いますか?」とアンケートを取ると、思いのほか「年功序列は合わない」と書かれていることに驚きます。
思いつくワーディングがそれぐらいなのかもしれませんが、一方で前職でそういう景色を見てきた方もいるんだろうとは思っています。
年功序列がなくならない理由について、昔、大企業の方と話したことが印象的でした。
僕が「(御社のような)大企業の年功序列って不条理じゃないですか。自分には耐えられない。そもそも自分は大企業に入れるような人間ではないけど。」なんて話をしていたら、相手の方が「不条理だよね。パシリみたいで。でも、自分が上の方になったら同じことを下にできるから、今は耐えているんだよ」と言っていました。
高校時代の部活みたいです。
でも、言っていることは理路整然としているし、割り切り感が素晴らしいなと思いました。
「今を耐え忍んで、未来を楽しむ」って、日本の風土なんでしょうか。
自分も、その特性は持っている方ですが、さすがにハタチを超えてはできないと落胆した記憶があります。
話が逸れました。
年功序列って、ポジション(役職)につかなくても給料が上がっていくことが問題です。
ジョブにも能力にも関係なく、給料が上がっていくんだから。
メンバーシップとか、ジョブとか、そういう言葉じゃなく、「実力と成果で見る会社」と「そうじゃない会社(年齢、勤続年数、性別など)」ぐらいがちょうどいいと思います。
論文なんかに載せることをしなければ。
変な手当とかもたくさんあって、無駄遣いしている。
物言う株主にも、「細部に神は宿る」とか言って、何とかしてもらいたいところです。
家族手当とか配偶者手当とか、社員を子ども扱いしている制度だなと個人的には思っています。
お小遣いじゃないんだから。
年功序列は、誰にとっても「楽」な制度です。
頭を使って論理的、合理的に考えて、相手に合わせてティーチング・フィードバック・コーチングを駆使しながら、相手に動いてもらうというマネジメントを、生まれた時期という不変の事実によって片づけてしまう魔法の道具です。
こんなことをやっていたら、大人が劣化してしまうのは当然です。
その人たちを変えるよりも、新しくつくっていく方が効果的だし、やりがいもあります。
人事制度の設計も同じなのかもしれません。