今週もあっという間の1週間になりそうです。
週末が過ぎたら4月、今年も1Qが終了。
去年の3月27日に移住(引っ越し)したので、今日で1年と2日目。
充実した1年でした。
そんな気持ちを残しておきます。
とりあえず思ったことを書き綴ろう。
楽しいわけではない
移住(後の生活)は、私自身にとって楽しいのか?と問われると、別に楽しいわけではないというのが正直な感想です。
だからといってネガティブに受け取っているわけではありません。
子どもたち、家族としての最善の選択肢だったと思います。
東京にいた方が、友人とさくっと飲みに行けるし、買い物もそんなにしないけどすぐに行けるし、それは「便利」だったりで楽しい時間も多いかもしれません。
でも、自分にとっては「楽しい」という気持ちよりも、時間的・空間的に「穏やか」であることの方がプライオリティが高いと気づきました。
そして、子どもの生活環境をより自然の中に溶け込ませることができたことで、どういう結果になるかはさておき、満足しています。
10年、20年、そして世代間のつながりで考えれば必ずこの判断が、自分たち一族にとって重要な意思決定になってくると考えています。
ただ、こうは書いているものの、2-3月の新生児との生活でうまく自分の時間がつくれなかったこと、運動(ランニング)をストップしたこと、それこそ「楽しい」ことを我慢したことで多少ストレスがかかったのも事実。
やっぱり「楽しい」って大事なんだな、という気づきにもつながりました。
森の保育園で過ごした1年間
下の子は、1年間、森の保育園に通いました。
自然と先生、最高でした。
確実に1年で成長・変化があり、それを近くで見ることができました。
とてつもない寒さの中、1年間頑張って通った姿は忘れません。
こんな自然の中で毎日暮らした彼女に誇りに思うことしかできません。
1年過ごしたことで、植物や動物、自然現象について多くのことを学び、吸収していました。
百聞は一見に如かず、というか、教科書なんかなくても毎日「心」と「身体」で体感することで、子どもは学び、成長していくんだと実感できた1年です。
どんなに寒くても、雪が降ろうと、道が凍結しようが通った保育園は、子どもというよりは我々「親」にとって一生の財産になるはず。
その関係性をサポートしてくださった先生方には感謝しかありません。
なんだかんだ一番頑張っているのは上の息子
あなたが一番頑張っている姿を近くで見れてうれしい気持ちです。
毎日、自分の足で学校に通い(東京では普通ですが、こっちではスクールバスで通っている子たちが主流なので)、雨にも負けず、雪にも負けず、風にも負けず、毎日タンタンとやり過ごす姿は、自分が仕事を捌く姿にそっくりです。
文句も愚痴も一人前に言えるようになってきて、昔に比べて語彙力が上がってきました。
3年前から始めている野球では、新チームでキャッチャーとして好き勝手、やりたい放題にできているのも羨ましいくらいです。
移住で一番影響を受けている立場であり、ちょいちょい問題もあったけど、こうして1年父母をサポートしてくれた長男を誇らしく思います。
他(周り)のお父さん・お母さんに比べて、要求が過大かもしれないけど、責任を果たすべく、子育てします。
愛情なんて実態の見えない空虚な言葉でつながるより、自分は「義務」として、あなたを育てていきます。
甘っちょろい環境はつくらず、父と子の関係には必要ないと思う「フラットさ」をなくしてフェアに付き合っていきます。
オンラインへの懐疑
私たちが移住できたのは、ひとえにコロナのインパクトによる仕事のオンライン化がありました。
1年やってみての率直な感想は、「問題ないけど、問題になりそう」といったところです。
オンラインで仕事を進めることはできます。
品質を高めることもできます。
でも、これでいいのかな~、という気持ちがここ3ヶ月ぐらいで芽生えてきました。
まだ、うまく言語化できません。
でも、オフライン・リアルの方が楽しかったり、学びが多かったり、創発が起きるのは間違いない。
オンライン中心になっているがゆえ、よりオフラインの威力を感じているのかもしれません。
「なぜ」の言語化は重要だと、改めて気づきました。
言語化しにくいからこそ、ここに何かが隠されているんだと理解できます。
1年、本気のオンライン生活を送った者だからこそ、言語化できる領域があるはずなので、そこは諦めずにコツコツと思考を深めていく所存です。
TVどうするか、、、
悩んでいます、TVを置くかどうか。
今は、TVがありません。
ただ、モニターだけは設置して、PCで見れるようにしました。
でも、子どもたちは大きなTVで、映像を見たいだろうなと。
TVがないため、YouTubeでしょーもない動画を見ているのも気になるし、それならTV置いた方がいいのかな、とも。
野球とか、ニュースとか、そういうのならTVの方がいいのかな。
新居にTVを置く場所がなく、どうすべきか。
家づくり
6月に土地を見つけ、建築士さんとも関係ができました。
今の建築士さんは、相性が良い(相手がどう思っているかはわかりません、おそらく先方も悪くはないと思ってくださっていると思います)。
色々なお話させていただく中で、「個」としてプロフェッショナリズムを感じます。
私は勝手に「設計」という同じ仕事を担っている立場として、お話させていただくのが本当に楽しい。
設計のプロとして学ぶべき点は多々ありますし、私にはないコミュニケーションスキルの高さ。
そして、学習意欲というか成長意欲というか。
腕(技術)に対する信頼は高いですが、それ以上に人間的魅力があります。
こういう方と家づくりができてよかった。
あの空間で育った子どもの感性を、楽しみに待つことにします。
人との出会い
1年で素敵な方と出会う機会がありました。
自分から戦略的に、最後は思い切ってつながったり、たまたまつながったり、子どもの関係でつながったり。
無理せず、自分にウソはつかず。
人付き合いって、どこまで打算的であるものなのか。
自分の関係性って打算的なのかな、と思う機会も多々あり。
ただ、自然に付き合うこともできている実感もある中で、どうやっていこうか。
迷いながら、突き進んでいます。
移住2年目は思い切って、なんてことは言わずに、今まで通りにやっていきたいです。
2‐3年目は、何かありそうだな。
マンションと山
東京にいたとき、窓から外を見ればマンションが見えました。
今は、外を見ると山が見えます。
その何が違うのか。
稜線が見えることが何なのか。
シンプルに「美しさ」が違うんですよね。
窓から外を見て、感動できる環境があります。
「綺麗だな」と、素直に思えるんですよね。
これが穏やかな生活の一部になっています。
マンション見て、綺麗なんて思いませんからね。
山を見て、綺麗だと感動できるのも人それぞれなのかもしれませんが、これを見て心揺さぶられる人間ではありたい。
自然の偉大さを感じる今日この頃です。
自然
東京に帰ってくるとマンションとかに植栽された木を見て、自然を感じることがなくなりました。
大きな公園の木々も同じです。
これは自然ではなく、人工です。
本物の自然に触れ合うと、怖さを感じます。
人工物には怖さも何も感じることはありません。
自分たちに経験値が無いがゆえ、自然がもたらす変化を予測することができません。
これが怖さになります。
一方、あんなに怖かった自然が、穏やかに私たちを迎えてくれることもあります。
いつまでも、自然を当たり前と思わない大人になりたいです。
今の環境は、奇跡のたまものなのです。
車を10‐15分走らせれば、すぐに自然にコンタクトできる環境は、家族にとっても子どもにとっても大人にとっても贅沢です。
東京にいたら渋滞を気にして、自然に会いに行くぐらいのテンションですが、サクッと自然にご挨拶できます。
それも人口物ではなく、本物の自然に向き合えます。
素材が違う、ご飯が美味しい
鮮度によって、食事がここまで変わるのか、というのが正直な感想です。
ご飯が美味しい。
妻の技術が高まっていることもありますが、合わせて素材の違いを感じます。
家のご飯が美味しい。
外食が好きな私ではありますが、家で食べるインセンティブがあります。
住む土地で、そこまで違うのか、と思うかもしれませんが、食材の鮮度は明確な差が出ます。
大学の友人で北海道出身の方が、東京で生魚は食えないと言っていたことを思い出します。
私なんかは食えなくはないけど、違いは明らかにわかります。
美味しいごはんを囲んで、家族が集まる。
移住しただけで、この当たり前の日常が当事者の幸せに関与してきているのは事実です。
外食も、いいお店がたくさんあります。