人事制度に関する説明会を実施した後、アンケートをお願いすることがあります。
制度や説明内容に対する理解度や納得度、意見をもらいます。
そのアンケートの中で、稀に「残念」という言葉(表現)が使われることがあります。
ここに違和感を感じてしまう自分がいました。
「残念」とは何か?
ネガティブだから違和感を感じるわけではありません。
反対意見は、大切です。
考慮できていなかった、考慮していたけど想定以上に気にするポイントだった、思った以上に多数派だった、といった気づきのフィードバックになり、改善につながるからです。
なので、賛成意見も反対意見も真摯に受け止めます。
もちろん、ヒトですので反対意見を読んでいるときは、色々な感情が芽生えますが、その対処方法も自分なりにトレーニングしてきました。
ただし、「残念でした」風のコメントに対して、どういうスタンスで向き合えばいいのか、うまくできていませんでした。
直感的にポジティブではないとわかるのですが、向き合う気持ちが弱まってしまう自分がいます。
ふと、なんでだろう、と思いました。
「残念」という言葉を調べると、
- 期待通りではない
- 満足できない
- 心残りである
- くやしい
- 無念
といった意味であることがわかります。
「期待通りではない」というフィードバックと受け取ると、たしかに向き合う気持ちが下がってしまうのかもしれないと思いました。
そもそもの期待を把握できていないこと、期待を満たすよりも成長を目指していること、がズレの原因になっていると思います。
なかなか、やっかいな言葉です。
「北風と太陽」でいうと、「太陽」に感じる
この「残念」という言葉、個人的に「北風と太陽」でいうところの「太陽」でフィードバックされているように感じます。
「残念」というフィードバックを通じて、こちらが相手の期待を推測したり、慮ったりと。
もしかすると、この部分に強い違和感があるかもしれません。
誘導尋問というか、強い表現で誘導されそうになるので、こちらもつい反論したくなってしまうというか。
この結果、真摯に向き合う気持ちが低下してしまうような気がします。
言語化してみると、反射的に対応しているので、ここは改めないといけません。
建設的な「北風」で議論したい
太陽でなく、建設的な「北風」で議論したいという気持ちが強いです。
組織人事を考える際、個別最適ではなく、全体最適で考える必要があります。
「なぜ」を突き詰めると全体最適にたどり着き、短期的には感じにくいかもしれないけど、中長期的には全体にメリットが出るように考えています。
もちろん、そこには責任や役割の大きさに応じてメリットの大きさも違ってきますが、デメリットの違いにも反映されています。
こう考えると、説明・コミュニケーションの質・量ともに不足しているのかもな、という反省が思い浮かびました。
「思っている以上に内容が難しいし、そもそも理解されない可能性がある」と常々考えていますが、そのためには説明を尽くさないといけません。
アンケートで「残念」とあれば、説明が足りていなかった可能性をまず考えた方がいいかもしれません。
反省し、改善していきます。