「Aがいい。なぜなら~」、「わからないから、Bでやってみよう」、「プランCがいいかも。自分たちのバリューに合っている」など、フィードバックを受ける側にとって様々なパターンがあります。
相手とその提案に敬意をもち、尊重している、つまり信頼してくれている方は、フィードバックが本質的であり、かつ任せてくれます。
お互いをプロと認め合っているからこそ、できることであり、高度なマネジメントスキルです。
こういうチームと一緒にできると、「やってやろう!」という気持ちになり、実際、高いパフォーマンスが発揮できていると思います。
何も前進していない
フィードバックの中でも「これは、、、」と思うものが。
「別に、どっちでもいい」と、妙に本質を気取ったフィードバックです。
「Aか、Bか、Cか」という選択肢に対して、「別に、どっちでもいいんですけど、そもそも・・・」と始まる、あれです。
無意識的かもしれませんが、「無関心」という武器で相手を傷つけているように感じます。
よくよく聞いてみると、本質でもなく、要は自分自身の価値観や知識の外にあるテーマであり、相手の意識や考えに共感せず、雑に対応しているだけで。
本人としては、良いフィードバックを実践し、満足感と優越感を感じているように見えました。
でも、話は何一つ前進していないのです。
A案がいいとも、別のアプローチをすべきとも、アナロジーで考えてみるととも、提案がなく、相手の意見をぶった切って終わる、というこの状況。
HRTに欠けるコミュニケーションの代表例といっても過言ではありません。
これこそ、本人にフィードバックすべき
「別にどっちでもいい」というフィードバックに対して、「もう少し丁寧かつ思いやりをもったフィードバックをする場合、どういう観点があるだろうか?」とフィードバックできる組織で在りたいものです。
起案者は「別にどっちでもいい」というフィードバックを欲しいとは思っていません。
議論すべくプランを準備しているのに。
これが本当に起案者側の低レベルに端を発しているのであれば、どうなのでしょうか。
それでも、なかなか許されないフィードバックだと思っています。
もっと別の言い方があるんだろうと。
このフィードバックを実践してしまう方は、根が悪いケースとそうでないケースがありますが、ある種、クセになっていることが多いように見て取れます。
自分に意見・意思決定が求められる場面で、枠外にボールが投げられると、条件反射してしまうのです。
早めにフィードバックしてあげましょう。
それは有益ではないと。