違和感の話です。
昔、ある仕事で「偉い」とか「偉くない」って言葉が、頻繁に使われていて違和感を感じていました。
自分には関係ないと思ってスルーしていましたが、それにしてもよく使われていたな、と。
「組織上のポジションは、あくまでも「役割」であって」というくだりに、まったく違和感はないのですが、その後に「別に偉いとか、偉くないとかじゃない。」という続きに「ムムっ」となったイメージです。
その後、「マネージャーだから、偉いっていうのはおかしい」よね、と。
「おかしい」けど、そもそも「偉い・偉くない」って思ってないけど、あなたはどれだけ思っているのだろうか、と。
そもそも偉い人っているんだろうか。
変にリベラルを気取るつもりは毛頭ない中で、「偉い」とかって思ったり、感じたりする機会は、自分はあまりないかも。
「偉い」って思ってほしい人は、会えばわかるけど、そういう人と自分は絡む機会は、もう少ないんですよね。
今後も機会が増えることはないだろうし、「偉い」は死語になってしまうかもしれないけど、仕事で出てくると困ってしまうものだと振り返りました。
平等や公平に妙にこだわる必要もないし、無意識のバイアスとして平等・公平でありたいな、と。
そう考えると、「マネージャー・役職者は「役割」であって」って説明する時点で、非常に意識的なのかもしれない。
「石は固い」ぐらい当然のこととして判断しないといけないんだろうな。
こういうバイアスって、キャリア初期の会社や文化、マネージャー、先輩、同僚の影響が非常に大きいのは、よく聞く話。
その通りの部分もあるだろうし、あとは個人の価値観にもだいぶ依拠しているとも思います。
自分は「~さん」付け文化で育ったので、そういうのも影響しているかもしれません。
あとは、実力主義もあるんだろう。
実力主義が徹底されていると、マネージャーは基本、成長志向が強いし、それは謙虚でないとできないので、全体的に謙虚カルチャーもできるようにも思います。
謙虚であれば、偉いとかそういう不毛な根拠に対して冷めた対応を取るし、合理的でもないので気にしない部分があるんだろう。
「謙虚」であることは、本当に大事。
「偉い」とか「偉くない」って言っている時点で、そもそも価値観が違うんだろうな。
そんなこと意識したことないし。