「うちの目標は高い」は、本当?

スタートアップで仕事をしていると「うちの目標は高い」という話を聞くことがあります。

「自社の目標は、かなりストレッチの効いた野心的な水準で設定されている」と翻訳できるかもしれません。

個人の目標設定や評価について議論する中でよく聞きます。

そんな「うちの目標は高い」に対して、自分が感じた違和感と気づきです。

 

本当に他社を圧倒する高い目標なのか?

高尾山(599m)より富士山(3776m)が高いと言えます。

では、「うちの目標が高い」とは何と比較しての発言か。

聞いてみると、明確な答えが返ってくることは少ないです。

自身の過去の経験、現在のリソース、これまでの実績に比較して、目標が高いという印象論です。

本当に高いか、は自分には分かりません。

 

また、自分の経験ではほとんどのスタートアップで、この手の話をしています。

つまり、どのスタートアップもみんな目標は高い、と。

OKR を運用していると、高い目標がデフォルトになっているので、なおさらです。

みんな目標が高いなら、比較すると、みんな同じぐらいなのでは?

相対的に高いとは言えないのかもしれない、と思ったりもします。

 

「うちの目標が高い」と言いたい場合、同規模・同フェーズ時代のエクセレントカンパニーと比較して、定量的に高さを表すことが合理的です。

そこまでやって「うちの目標は高い」といえるかもしれません。

ただ、そこまでやる意味があるのか、よくわからないのも事実。

個人的に「うちの目標は高い」と発信することのメリットがよくわかっていません。

「必要な水準よりも高い目標を設定して最終的に未達だったけど御の字」みたいな目標設計があるのかもしれませんが、性悪説というか、個人的には苦手な考え方です。

人を小馬鹿にしているような。

 

一方、「うちの目標は高い」について、デメリット(副作用)の方が強いかも、という懸念もあります。

 

未達の理由は、目標が高いから

「うちの目標は高い」と言い続けると、目標未達の際、原因の一つとして「うちの目標は高いから」と会話するメンバーが出ます。

原因分析として正しいか否かは皆さんの判断に任せますが、自分はこの状態を放置できません。

本末転倒です。

高い目標だから未達でも仕方がない、という考え方。

強力な副作用です。

未達を正当化する「負け癖の組織文化」に繋がりかねない。

「目標を高く設定してはいけない」「目標は低く設定すべき」と主張しているわけではありません。

「高い目標でも低い目標でも構わないけど、目標を設定したら達成しよう」と発言しているだけです。

 

「うちの目標は、T2D3 だから未達だった」とは言えない

T2D3、スタートアップの共通言語であり、わかりやすい目標の尺度です。

もちろん、全員が現実的に目指せる目標ではないかもしれませんが、勇敢にもチャレンジする起業家は心の中で目指している1つの尺度かと思います。

「うちの目標は、T2D3 だから未達だった」とは言えません。

言い訳にしては、正直カッコ悪いです。

でも「うちの目標は高いから、未達だった」は、意外にも本人が気付かず、自然と口にしてしまっていることも。

キャッチーな表現で、且つ振り返りしやすく定量化されている T2D3 という尺度をスタートアップが使う意味は、こういうところにもありそうと思いました。

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