中立的であること

人事 × コンサルタントとして、中立的であることを強く意識しています。

先日、とある起業家が「人事は中立性が大事」といった話をしており、強く共感しました。

中立的であることは、何となくイメージとして伝わると思いますが、具体的にどういうことか。

自分でも断片的な整理にとどまっていたので、まとめてみました。

僕が考える「中立的」です。

 

お互い様の精神

社員ヒアリングや組織サーベイなど、メンバーの声をすくいあげると、不平不満や愚痴が出てきます。

その声に共感はします。

ただし、共感した後、お互い様だよね、という気持ちでお互いの良い点と改善点を考えるようにします。

どちらにも言い分がある、と。

意識しておかないと、やはり声を聞いた方に加担してしまったり、逆に「その考えは甘いよ」と自分の経験から反駁してしまいがち。

どちらにも言い分があるのです。

なので、その問題を双方で解消しましょう、と考えています。

 

ポジションパワーになびかない

ポジションパワーの影響ってスゴイな、と最近も思うことが何度かありました。

会社・組織の中で働くって、こういうことだよね、と。

「その案には Yes と思っているのですが、これってどう思います?」って発言、だいたい Yes じゃないと聞こえます。

自分が「絶対に正しい」とは思いませんが、明らかにそれおかしくない(目的と手段が合ってない)とか、正当化しているよね(納得感ないよね)とか、自分自身でも怪しいって気づいているでしょ(だから自分から議題に挙げたんでしょ)とか、だれもが違和感を感じている場面では、組織に無言の「No」が漂います。

無言の「No」です。

すると、なにも意見がないので進めてみますね、と無言の「No」が「Yes」に変わります。

空気ですね。

自分は、この場面で明確に「No」と言うようにしています。

最近もありましたが、空気読まないヤツ的な空気が流れたり、よくぞ言ってくれた的な笑みが見えたり、みんなで笑いが起こったり、反応は様々です。

会社・組織に属する関係性が無いからこそ、言えるだろうし、自分の性格もあると思います。

ただ、こうした違和感は現実化することを散々見てきたので、とりあえず思ったことは言うようにしています。

恥ずかしい話、3年ぐらい前までは「これ言ったら次の契約に影響出るよな」「嫌われたくないな」と普通に思っていました。

とある著名な経営者と話している際、このことを話したら「それはダメ。経営者は、素直なフィードバックを求めている。NG なら NG と言ってほしい」と言われましたが「いや、それこっちも難しいよ」が本音でした。

仕事なくなったら、食べていけない、と思っているので。

最近は、この辺のプレッシャーから開放されてきました。

なんとかなるだろう、という状況と、いざ「 No・NG 」と伝えてみると、そのときはムッとされますが、その意思決定が変わったり、あとになって「その選択肢やめて賢明だったね」と。

とある著名な経営者、流石としか言いようがありません。

 

とある著名な経営者って、流石としか言いようがありません。

孤独になること

仲良しの関係では、お互い様の精神もポジションパワーになびかないことも自分の性格上は難しい。

好き嫌いが、はっきりしているので。

なんだかんだ仲が良い人に、No って言いにくいのが本音です。

だから、意識して孤独であろうと。

独立して、一人で仕事をしているのもそういう意味があるんだろうな、と最近思うようになりました。

孤独といっても週4では、様々なクライアントとオンライン上で会う機会があるので、寂しいとかはまったくありません。

「一人で仕事していて寂しくない?」とよく聞かれますが、まったく寂しいと思いません。

ゼロ、皆無です。

その背景として、家族の存在が大きいですね。

事務所をなくし、自宅で仕事をするようになって、よりその存在を感じます。

この環境がなければ、メンタル面できついこともたくさんあるように思います。

 

中立的な立場で、今、自分が価値提供できているのは、こんな自分の性格を受け入れてくれるクライアントと身近な家族のおかげという気づきでした。

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