花粉症が軽いのは、なぜ?

今年は、アレグラやフェキソなんちゃらををほとんど飲んでいない。

若干、ムズムズするときもあるし、鼻水がヒドイときもある。

ただ、30歳で花粉症を発症してからの症状に比べると、断然軽い。

2月ごろ、花粉症が始まったと思ったら、副鼻腔炎という病気だった。

それからも、左の鼻奥とのどの違和感は何となくあるものの、水が鼻から流れる症状はない。

 

なぜ、花粉症が改善されているのか。

ちなみに、妻も今年は症状がない。

一方、息子はズルズルとやっている。

 

さて、なぜ症状が改善されたのか、を考える。

移住したから、と思わなくもないが、移住礼賛みたいでバカっぽいので避けたい。

ある種のスピリチュアルな筋も感じえないので、やめておこう。

 

場所がら花粉が少ない、というわけでもまったくない。

むしろ多い。

 

体質が変わった?

否定できないが、肯定もできない。

 

納得感が高いのは、外に出ていないから。

子どもの出産を機に、昼のランニングもしていない。

出張も2ヶ月ほどしていない。

子どもの送迎や買い物などで外に出る機会はあるが、花粉症対策でなるべくマスクもしている。

そもそも圧倒的に外に出る機会が少ないので、花粉の閾値を超えていないのが今なのかもしれない。

妻もそう。

息子は毎日学校に行っている。

外出の多寡だな。

 

あと、ストレスもあるんじゃないかと思う。

都内にいたときは、住んでいる空間・環境からのストレスが最強だった。

窓からは空がほぼ見えないし、マンション建設でどんどん見えなくなっていく。

空が見えなくなっていく住まいってのも、すごいキャッチフレーズ。

でも、そんなマンションも今ではバブってる。

 

騒音も、きつかったな。

となりのおばさんが飼っている犬の鳴き声もひどかった。

甲高い声で、常にないている。

なぜ、なく?

そんな方に、子どもがうるさいと駆け込まれたときは腹が立ったと同時に、すいません、とも思った。

だって、子どもが家の中でずっと「壁当て」やってたから、、、

やめろって言っても、ずっとやってたんだろうな。

野球にハマったときだったな。

そんなマズイ思い出もあった。

全然美化するつもりもなく、今思い出しても相当、腹立たしい。

10年住んで、お隣さんとの会話が、それだけだったのも東京マンションの現実ってヤツなんだろう。

 

さて、今は、ぼんやり山を眺めることで、心が無になれる。

もちろん活動も無なので、何も生まれないが、ストレスが襲ってくることはない。

 

たった今、家の横で戸建ての新築工事が行われている。

今日まさに上棟。

おそらくワークマンで購入したであろう上下デニムに身をまとった大工さんが右手で金槌を振り回している。

職人さんの動きが好きなので、ずっと見てられる。

カッコイイな、手に職があるって後ろ姿は。

 

そして、makitaのドリル・ドライバーの音も続く。

クレーンで木材を持ち上げて、カンカンやっている。

 

これぐらいの音でも、今日は騒がしいな、と感じる。

昔は、老朽化した、けれどもまだ全然使えるコンクリートのビルを、なんていうかわからない巨大なドリルで破壊していることが周辺環境の日常だった。

もちろん日本人じゃないし、瓦礫でそんな姿を見ると戦場みたいに見えてしまう。

マンションも、ほぼ毎日揺れていた記憶しかない。

こんな日常に慣れていると思っていたが、確実に蝕まれていたのだろう。

 

うるせーな、近所迷惑だな、と自分勝手に思っていた。

自分が住んでいるマンションをつくっているとき、近隣の住民が同じことを思っていただろうに。

 

なんて自分勝手なんだ、とはたと気づくことで自己嫌悪になる。

外は、うるさ過ぎて笑えるレベルだった。

住む場所じゃないな、と心底感じた。

 

話がだいぶ逸れたが、そんな環境下で手渡される頑丈なストレスがなくなってみるとと、鼻から水が出てこなくなるのも不思議ではない。

そういう意味では、移住が、、、

いやスピリチュアルになってしまうのでやめておこう。

 

シンプルに「住む場所を変えた」のテンションがちょうどいい。

フラットで、事実を伝えるワード。

偉そうでなく、バカっぽくもなく、コンサルっぽくもなく、都会っぽくもないし、田舎っぽくもない。

いいワードだ。

 

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