「査定」という言葉は使いたくない、中古車じゃないんだから

感覚的な話です。

人事制度の目的を「報酬決定」と「成長支援」の2つと定義し、主は報酬決定であるというスタンスを取っています。

メンバーの報酬を決定する、メンバーの成長を支援する。

法人と個人がフラットであることを意識した言葉を、意識的に用いています。

一語一句が大事であり、こだわりをもって使っています。

 

「報酬決定」を「査定」と呼ぶケースがあります。

強い違和感を覚えます。

中古車じゃないんだから。

査定という言葉が使われる場面は、完全に利害が対立しています。

買う方は「安く」買いたい、売る方は「高く」売りたい。

お互いに表面的な言説を見繕って、交渉するわけです。

個人の特性によって、相見積もりの時間を多分にかけるケースもあれば、時間が惜しかったり、面倒だったりで、相手の提案をあまる深く考えずに受け入れることも。

 

制度としてこうした言葉を据えると、無意識に言葉が人を侵食していくように感じています。

感覚ですが、査定という言葉を使っている会社ほど、ヒエラルキーを感じます。

上と下の意識が強く、上が下を査定して、給料を決めているようなイメージです。

 

過去に、そのような会社で資料を作成する際、意識的に査定という言葉を外しました。

特に、何も断りを入れず。

そのことについて言及してくる人はいませんでした。

「評価」、「判定」、「報酬を決める」、「報酬決定」という言葉を精査して使っていましたが、読む人によって「査定」と読み換えてくる方がいたのも事実です。

言葉が人(脳)を侵食しているようで、少し怖かったことを覚えています。

私は「査定」とは書いてないわけですから。

 

言葉は、大事です。

難しい聞きなれない言葉を使うことは知識と能力の不足からできませんが、最大限、こだわりを持ちたいです。

 

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