社長は「やるべき」、でも現場は「・・・」の場合、どうすべきか?

制度関連で、社長は効果を信じて「やるべき」と考えている一方、現場は忙しさと費用対効果から「やらなくてもいいですかね?」となってしまう場合、どう向き合うべきか、振り返ってみました。

 

例えば、人材育成系の取組みで考えてみる

人材育成の取組み施策で考えてみます。

こういうケースは、たいてい形骸化します。

現場は「べき論」では動いてくれませんので。

 

そして何が起きるか。

社長は、「やらせる」ようになります。

ある種、怒りがそうさせている感じです。

目的や方法を改めて説明して最スタートです。

 

で、この後、どうなるでしょうか?

 

形骸化します

そうなんですよね、形骸化してしまうんです。

主な理由を考えてみます。

 

  • 本当に忙しく、対応する時間がもったいない
  • 目的の意味がわからない(理解できない)
  • 方法通りやってみても、うまくいかない
  • やるメリットがない(評価や報酬に影響しない)

 

あたりでしょうか。

時間不足、能力不足、影響不足といえます。

 

育成は時間のかかるもの。

余裕がないとできません。

いくらきれいごと並べても、できないものはできないし、やりたくないものはやりたくない。

そして、それがボトルネックになることがなければ、人間はシレっとごまかしてしまいます。

 

あと育成って難しいというのが本質的にあります。

「やれ」といってできるものではない。

そう認識しておくと、肩の力が抜けると思います。

 

どうすればいいのか?

「今じゃない」ということだと思います。

今は、現実的に運用を回す余力がない、という理由で「いいヤツ」だけど、今ではなく、後でやりましょう、と。

対立構造をなくし、怒りを鎮め、戦略的に先送りする。

みんながハッピーになる意思決定です。

そして、そこまで組織に影響を及ぼさないはず。

 

長期的な視野に立って、意思決定することの大事さを感じます。

 

自戒を込めて、こういう曖昧な取組み、今はできない取組み、目的が本人のみの価値観に寄り過ぎている取組み、やることのメリットが見いだせない取組み、は廃止する勇気を持つことが大事なんだと。

無理やり進めても、形骸化するだけです。

挙句の果てに担当者まで、目的も意義も分かってない、と反対するスタンスを自信満々に公言する事態に陥ります。

政治的な人(人に、場面によってポジションや人格、発言内容を意図的に変えて、自分の思うままにモノゴトを進めようとする人)は、この傾向が強いです。

要注意です。

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